にっき「休日、休息、ハードウェア」
昨日とうとう日記をすっぽかしてしまった。かなしい。今日も絶賛だめになっております。
やはり目の前に応援してくれる人がいないと動かない。いや、応援してくれなくていいのだが、自分の進捗の話を聞いてくれる人がいないと動かない。今日の午後はお仕事をして、その合間に人々と大学の話を少しだけして、少しだけ進捗が発生したのだが、流石に仕事中の人々に向かって仕事に関係ない話を延々とするわけにもいかない。
そういえば、虚空に向かって話しかけることで人に話した時と同等の作用を得る人間がいるらしいのだが、怖くてできない。主張は分からなくはないのだが、どうしても「誰もいないやんけ」という虚無感に遮られる。たぶん、単に狂気が足りないという話でしかない。
もう一つの問題点、休息が足りていないと感じる。仕事をすると心がましになり、ゲームをしても心がましになるが、今問題にしているのは精神の休息ではなくて頭脳の休息である。遊びの類もちゃんと頭を使っているから、休息というかむしろ疲れているだろう。「どうして休日に遊びたがるのか、休日は休む日だろう」という言葉には耳が痛い。休日に課題をしているのは異常な状況らしいですしな。
ところで、さっきの一節
今問題にしているのは精神の休息ではなく頭脳の休息である。
最初は「心の休息」「体の休息」と書いていたのだが、違和感を感じて修正した。疑い深い自分にとっては今や心というものの実在も怪しげだが、「心・体」で思い浮かべていたのは「今の活動を素直に楽しめているか・脳に栄養やエネルギーが十分にあるか」という意味合いである。しかし、一般に後者の要素を体の休息と形容するのは、脳の話なのに筋肉とかの話に見えて違和感がある。それにも関わらず体と書いてしまったのは、つまるところ今の生活において体とはほとんど脳だけだと思っているからだろう。
コンピュータのアナロジーをしてみれば、精神がソフトウェア、頭脳がハードウェア、脳以外のいわゆる身体は入出力か周辺機器の類と思える。最近の自分の活動において身体はただ入出力をやっているだけであり、仕事の本質に関わっていないし、あまり疲れない。まあ、目は疲れているかもしれないが。それで、一般に心と体などという言い方をした時は脳と脳以外に分けているのだが、自分にとっては脳以外の身体は割とどうでもよく、脳内のソフトウェアとハードウェアに分ける気分になっていたということだ。
ただ、脳をソフトウェアとハードウェアに分けるというのもおこがましい話だ。脳は脳本体しかなく、そんな仮想化は綺麗にできているわけがない。そう思うのだが、一方でソフトウェアとハードウェアがあるような気もしてくる。つまり、多少は仮想化ができているんじゃないかということだ。少し前に心の実在が怪しいとこぼした気がするが、同じ問題点を突いているような気がする。研究欲の湧く話ですね。
話題が逸れてしまったが、進捗を改善するには
・話を聞いてくれる人
・頭脳の休息
これらを大事にしようねということであった。1つ目の問題は人に迷惑をかけたくないという気持ちで回避してきたものであることが分かっている。だから意識的な改善をしたい。2つ目の問題に対する良い解答はまだ得られていない。意識的に何もしないという逆説が出かねない話だ。ただ、睡眠は間違いなく重要な要素であるだろう。さあ、分かったらさっさと寝なさい。おわり。