496の落書き帳

496がなんか思ったことを書いたり書かなかったりする場所です。

にっき「余裕」

今日も9時5時で働いた。帰ってきてぼやーっとしていたら夜になってしまった。

仕事中にぼーっとしていられる時間が減った感じがする。勤務時間をちょっと減らして、仕事内容をちょっと増やしたから当たり前なのだが。なお時給は上がっていない。今までが給料泥棒だったという方が適切だろうか。

ご飯食べてちょっとゲームしてちょっとTwitterを見てとかやっていたらもう21時、22時である。ここから勉強とか進路の考察とかする気概は出てこなかった。

迫る新学期の足音に焦る。あれ、この1ヶ月何やってたんだ。やるべきことがあったんじゃないか。まずい。全然進んでないことが多い。多分、人から投げられて進む進捗と自分の考察で行動する進捗とは質が違うのだ。学期中の進捗は前者であってそれなりのペースになるが、休暇中の活動は後者であり、とてものろい。それは仕方ないことなのかもしれない。

まずいという感覚がストレスを生み、ストレスが無意識のうちにパフォーマンスを下げる。これが昨年の人生の教訓である。注意しなければならないのは、ひとえにリソースの余裕だ。ハード的にもソフト的にも。余裕がなくなると精神が駄目になる。今日はちゃんとした食事をとっただろうか。睡眠は十分にとっただろうか。他にやることがあるからといって適当になっていないか。その辺りがじわじわと侵食されているのだろう。無意識のうちに。大事なことなので2(ry

意識的に気をつけないといけない。時に、無理なものは無理と諦める判断が必要そうな気がする。自分のメンテナンスは自分の仕事です。というわけでさっさとお眠りなさい。おつ。

にっき「意識を意識する」

昨日の思考の続きを書こうと思っていたが、今日は今日で色々なことが起こってしまった。うーん、忘れる前に昨日のことを書くかぁ。

さて、機械学習その他もろもろに嫌気が差したところで、人間の脳にあってニューラルネットにないものは本質的に何か、などということを考え始め、風呂で2時間近く瞑想した。実際のところ途中から迷走していたが。自分の思考のはたらきを観測、分析するという試みは哲学的に難しい。こういうことをした哲学者は無数にいるはずだが、ここでの考察は脳とは化学回路に過ぎないという諦め切った視点でやっているというところが哲学と違う、気がする。

「自分にとっては簡単でも、他人には難しいタスクが…」などと適当に書いたが、自分にとって簡単あるいは計算量が少ないということは、処理中に自分の意識にのぼる情報量が少ないということでしかない。裏では無意識の処理がたくさんあるということを念頭に置かないといけない。そして自然に究極の難問へと到着する:意識とは何か?どんなに解剖してもニューラルネット状のものしか出てこないとすれば、それだけで意識というものが作り出されているはずなのだ。これについて考えるのはさらに哲学的難易度が上がるように感じられる。まあ前口上は程々にして、勿体ぶらずに瞑想の成果を言おう。

  • 人間が得意とする知識の圧縮(公式化)は、特定のニューロンたちに伝播する一連の流れをまとめたようなニューロンが生成されることでできそうな気がする。とすると、層に分かたれたニューラルネットワークではこれが上手くいかない気がする。
  • 意識や自己認識のためには、自身の出力が再び自身に戻ってくる構造が必要な気がする。人間というハードウェアは自分の行動が自分にフィードバックされうる(例えば手を動かす信号を送ると手が動いた視覚信号が来る)が、それに頼らずともニューラルネット内部だけで信号が回る仕掛けがある気がする。

中々上手く書けないが、うんうん唸ってこんな感じの考えが出てきた。前半は自分の思考回路を観察して推測した、正直な話ただの勘である。人間は情報を圧縮する機能があるという感覚まではそれなりに確信があるが、実現法については怪しい。そもそも脳の記憶装置とかどうなってんねんといったことをちゃんと知らないで考えるには限界がある。

んでもって完全に忘れていたのだが、意識を得るにはニューラルネットの自己ループが必要だという話、昔聞いたことがある。久々に思い出したが、再発見してしまった。入出力方向が一直線なニューラルネットは言うなれば組み合わせ回路で、自己ループがある回路は順序回路っぽい雰囲気をしているし、順序回路はなんだか意識を持つという言葉のイメージに合っている。例えば、何か一つのことを意識しつづけるという行為は順序回路がないとできない感じがする、みたいな。そうすると、実際の脳は順序回路でできた上位モジュール「意識」が組み合わせ回路でできた下位モジュールを動かすみたいな構造をしているかもしれない。それっぽくなってきたぞ。

まあ、聞いたことがあるってことは先行研究があるということだ(!)。きっと色々なことにそれなりに先行研究があるはずで、それをちゃんと当たっていかないと残念なことになるだろう。妄想も夢見も大事だが、まだまだ人から学んでいかないと。

とまあ、勉強と研究のモチベがちょっと上がったところで、今日はこれまで。うん、進んでいる間は楽しいな。停滞するとつまんなくなるけど。

にっき「探求」

今朝もスロースタートだった。睡眠はもう少し多めに取るべきなのだろうか。理想的には、学期中は9時には起きて何か食べて、ちょっとだけ予習復習してから授業に行きたいなあ。今のところ23時台になると日記を書き出し、日付が変わると寝なきゃみたいな感じだが、これをもう1時間くらい早めるのがいいのかな。

 

まぁそれは本題ではない。今日は履修を考えるのが目標だったのだが、そもそもこれから何がしたいのかというのを見つめ直したくなってしまった。数年前は、コンピュータがどうやってあんな優秀な挙動をしてくれるのか知りたい、あるいはそれを作りたい、というくらいの気持ちしか無かったのだが、この一年でそれが大体分かり、もはや「やっぱり大変なんだね、面倒くさいんだね、あーやりたくない」とさえ思っている。もう少し補足すると、実験実習を通して、コンピュータに賢い挙動をさせるには人間が滅茶苦茶頑張らないといけないことを体感したので、あんまり面白くなくなってしまった。もっとこう…なんかないのか。機械学習とか?どうも機械学習も大分人間が頑張っているっぽいという話も聞いてしまったが…。

 

今の自分にとって最大の関心ごとは「知識とは何か、情報とは何か」そんなところだろうか。元の動機は人間の知識共有が中々上手くいかないのが嫌だったとかその程度の話なのだが。同じ言葉を用意しても何かを理解する人と理解しない人があり、自然に浮かんだ思考を人に話すと『謎の閃き』と首をかしげられる。自分にとっては簡単なのに、人には説明できないしコンピュータに代行させることもできない処理が存在する…。

 

はるか昔、チューリング先生は人間の挙動を観察しながら計算とは何かを定義した。究極的には計算とは無限の紙とペンと有限のルールに従って文字を読み書きすることでしかないと。それで初めて汎用計算機という概念が訪れたと思われる。一方、現代で勢いを強める機械学習では「知識・能力」とは何らかの関数のことだという見解でやっているが、どうしても何か足りないような気がする。それはなにか、過程というものをすっ飛ばして結果だけを見ているような感があるのだ。もっと本質をついたモデルがあるんではないかと。

 

そういうことをぼけーっと考えていたら1日が終わった。考えたことはまだあるのだが、ちょっと書き切れなかったので明日もう少し書いてみるとするか。

 

全然前に進める気はしないけど、やっぱり、研究、やってみたいな。

にっき「投影」

「それってあなたの感想ですよね?」

あーーー。今日なんもしてねーーー。

いや。午前はちょっと動いたんだっけ。数日前の日記に書いた相談所とやらに意を決して電話してみたところ、警戒レベルが下がるまでは受け付けておりませんという自動音声が返ってきた。まだダメなのかー、あるいは昨日レベルが下がってから単に復帰してないだけかもしれない。ところで、対人恐怖とか抱えてる人が頼る先のファーストコンタクトが電話って割とまずいようにも見えるのだが、どうなんだろう。私は大分勇気を使ったぞ。

まあとにかくそれでモチベがずどーんと落ちてゲームとようつべに溶けた。学科民が履修と院試の話で盛り上がっていてつらい。ダメだ。これは余計にのめり込むやつだ。寝てリセットして明日は履修を考えてみるか。あれだな、日記で明日何やるか宣言するの良さそう。朝はモチベも頭もダメなので。

それと、ひとつ心理学の動画を見た。『投影』に気をつけろ、というお話だった。投影とは、自分の思考の一部分を他人に重ねて、あたかもそれがその他人の思考であるかのように感じてしまう現象のことらしい。ああ、それは確かに投影と呼ばれている気がするな。要は他人に関して思い込みを起こすぞ、ということだ。

思い込みによる失敗を思い返すと耳が痛い話だが、疑いだすと本当にキリがない。あの人は☆☆と考えているだろう、この人は○○と考えているだろう、という理解は全部自分の投影かもしれない。自分は真実を何も見ていないのかもしれない。

理由は全く本質的でなかったのに、相談所に連絡が取れなかったという事実だけで大分心境が変わったなあと感じた。相談所に何かを投影していて、それが壊れたように見えなくもない。諦めたことによる酸っぱいブドウ現象のようなもの…かもしれない。でも具体的にはよく分からない。

また虚無感がぶり返してきた。もう新学期まで秒読みだし、そっちに目を向けないとなあ。進歩しているようでしていない日々。明日はもうちょっと頑張ろうね。

にっき「無知」

ナンモワカラン。

今日は9日ぶりにお仕事をした。久々の早起きが辛い9時5時。うわ、労働者感ある。あんまり仕事できてないなと感じて少し残ったら6時半まで残業していた。リアリティ出てきたなオイ。

年度変わりの季節だが、予備校のお仕事の様相も変わるらしい。もっと一人一人を丁寧に見ましょう、どれくらいできたかを確認して観察して一緒に考えてあげましょう、というようなお話で、労働量が一気に増えそうな気はする。そして、仕事が増えて余裕がなくなってくると『これって本当に効果的なのだろうか』という根本的な問いに頭が回ってこなくなるものだ。望まれる結果とは何か。そこに辿り着くルートとは何か。それを実現する支援とはどういうものか。

分からん。3年経ってもナンモワカラン。仕事を始める前は『自分の勉強法』のようなものを持っていた気がするが、それは自分にしか通用しない。今や自分に通用するかも怪しい。仕事として始めた途端に気付く自分の無知の数々に呆れたものだった。でも進歩はしているはずなのである。知見を得る過程の中途には必ずそういう時期が来る、らしい。

そういえば、今朝は電磁誘導の授業をした。この辺の分野は理解度が上がる途中でしばらくナンモワカラン状態になってしまうという特徴が顕著に現れる。今日はその感覚が強かったが、自分の授業は大抵の場合受けると自信が下がる内容になりがちだ。でも進歩はしているはずなのである。モヤモヤを辛抱強く観察しているとじわじわ解決する。大体そんなものだ。

ナンモワカラン。人生で何度唱えてきたことか。受験当時は受験ナンモワカランに染まり切っていたが、それでも藻搔き通した。最近はますます頻度が上がっている気がする。行列ナンモワカラン、積分ナンモワカラン、量子ナンモワカラン、位相ナンモワカラン、論理ナンモワカラン、OSナンモワカラン…でもどこかで乗り越えてきたのだ。そして今立ち塞がるのは更なる強敵、研究ナンモワカラン、就職ナンモワカラン、人生ナンモワカラン。

足掻け。答えが出る日は来ないだろう。出てしまったら、その日が人生の終わりかもしれない。

朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

にっき「遊び方」

今日はものの見事に遊び呆けた。生産性皆無。

思い切り二度寝して12時に起きた。寝たいだけ寝て、起こされるのではなく起きる、というのは清々しいのだが、よく見たら明日かなり早起きしないといけないことに気づき、怖い。

睡眠のみならず、息抜きやゲームの類も無理に我慢するものでもない、のだろうか。最近は疲労感・虚無感が出がちなので、ゲームをすると1〜2時間で自然に止める場合がある。これだと自然体らしくてまあまあ良いことではある。止める理由が「時間を無駄にしているから・他にやるべきことがあるから」ではなくて「飽きたから」という形なのが大事だ。対戦ゲームなんぞすると2時間もすれば調子が下がってくるものであるから、勝ち負けに執着しなければ自然にやる気がなくなってくる。

一方、ようつべニコニコの類は大体上手くいかない。飽きない上に能動性がないから疲れもしない。しかし見るだけのものであっても、ニュースを見るとか、この間の心理学の動画を見るのは思考があり能動性があるからちゃんと疲れる。ついったはそれらの中間といったところか。

自己管理できねえなあと思って早何年だが、どうしたって夢中になっている間は他のことは忘れているものだと思う。時報でも鳴らして割り込みすればいいのだろうか。少し検討してもよさそう。

とりあえず明日は早番のお仕事(?)なので疾く寝るべし。おわり。

にっき『進捗』

今日やったことはいくつかあり、あまり一貫性がない。なんか中途半端に色々やった。

まず、ちょっとお掃除をした。今朝の目標は資源ゴミにペットボトル群を放ることで、ペットボトルたちを袋に入れていたら掃除がしたくなった。床に投げ出されたゴミを片付けつつ掃除機をかけた。床面積がだいぶ広くなった(それ元が酷すぎでは)。

ソファとベッドになーんか埃がついてるなあと思い、毛布に掃除機をかけるという暴挙に出た。でもくっついていて取れないので、手で取り始めたら摩耗した毛布の一部が一緒に剥がれてきて、なんと(見た目からして)家の大体の埃が毛布の破片なのではないかという怖い予想が出た。ついでにこの半年以上布団たちの手入れ的行為をしていないという大問題から目を逸らせなくなってしまった。

そもそもあの毛布、物心ついた時からある以上20年もの、下手すりゃ30年ものである(一人暮らしになぜかダブルベッドサイズの毛布をよこされたのである。理由は推して知るべし)。クリーニング?捨てて買う?何も分からん。重い腰が上がらねえ。有識者求む。

ここでやる気と時間が尽きてお昼ごはん。昼にツイートしたが、面白いレストランを見つけ(てしまっ)た。しかも偶然大量の予約の間を縫って空席を見つけたらしい。2〜4人ほぼ完全個室。いいねえ。入ったところが1番狭そうだった。2人並んで座布団に正座して上下にも左右にも前後にもピッタリである。そんなに高くなくてよかったが、とりあえずあれは一人で行くところではなさそうだなあと思った。また今度。

午後。いい加減決断をすべきだと感じて、実践意思を持って精神科を、というのはちょっとハードルが高いと思ったので、大学の相談室を探してみた。臨床心理学専攻の院生が(研修として)相談員をしているところがあるらしい(大学生のみならず一般人も受け付けている)。『来る理由は漠然とした不安感、だけの人も多いです』とのこと。普通の人だと若干不安感があるかもしれないが、自分には好都合に見えた。ちゃんとした先生に見てもらうのは怖いと思っていたので。相手が自分というケーススタディから何を見出すのだろう、などとニヤニヤしかけた自分がいた。平日になったら勇気を出して行ってみようと思う。そういえば緊急事態宣言終わるんでしたっけ。少し気分が良くなる。

晩ごはん食べてちょっとゲームして、日記書いて寝るかーと思ったところで知り合いからヘルプ要請が入り、またまた実験学(不確かさ評価)の講義をした。先方の受けた授業で、2変数の割り算の誤差伝播は掛け算と同じだよ、という所の説明がすっぽかされていたっぽいことが判明してキレ散らかすなどした。まあいいや。

(広義)今日はまあまあ進捗のあった日だったかなあ。ただ、進捗管理はガバガバである。今日も昨日までの範囲でも途中で放った話が多い。春休みも残り少なくなってきてしまった。できれば休み中に3記事くらい書きたかったのだが、なかなか手がつかないな。上手いタスク管理がしたい。メモはメモするところまではいいが見なくなりがちで良くないな。うーん。とりあえずもう寝よう。