にっき「大人って何」
今日は一日中死んでいた。体力の低下を感じる。
8時起床から進捗を生もうとするも、眠いしやることが決まらない。講義もあんまり聞く気が起きずに周回していた。
遅延している課題も去ることながら、研究とか院試に関する進捗がすごく詰まっている。昨日の研究計画書の件でかなり現実主義に引き戻されてしまったのか、夢も希望も面白みも無くなってしまった。研究者と言ったって、結局できるのはちまちまと調査したり狭い範囲を考察したり実験したりということで、つまり普通の仕事人みたいな所は結構あるのかもしれない。自分は沢山手を動かすのはあまり得意ではないのかなあと思っていたが、何をやるのだとしても沢山手を動かせなすことができないのではお終いなのだろうか。
ところで、不調でも仕事をし続けられる人がプロであり大人なのだという。それは精神の強さなのだろうと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。高校生活で毎日早起きして学校に行けたのは精神の問題ではない。あれは習慣として言わばハードウェアに組み込まれていたのだ。自分の活動や仕事を常に意識して監視するなり、コミュニケーションに気を使うなりして求められる行動を取るというのは、ソフトウェア実装のようなもので、疲れるというかできる気がしない。
こういった、放っておくと暴走しかねないハードウェアを適当に諫めて必要な挙動をさせる意識のことを(自分が勝手に)シェルと呼んでいる。駄目な時はシェルが悲鳴を上げることになるが、あるいはシェルをハードウェアレベルで完成させてしまった人を大人というのだろう。こうなると内部実装は完全にブラックボックスだ。当人もどうして仕事ができるのか分からなくなりかねない。そして、ハードウェアはそう簡単に変化しない。ハードだからね。変化する時は大体苦しみを伴う。人間は自由だなどという宗教を流布したのは誰だと呪いたくなるが、これは一旦置いておく。
さて、一通りぼやき終わって、何すればいいのか分からん型の課題ばかり溜まっていたことに気づく。そりゃあ駄目になるわ。だいぶ遊び呆けたが、ちゃんと寝て起きて、うーん。どうすればいいんだろうな。おわり。