496の落書き帳

496がなんか思ったことを書いたり書かなかったりする場所です。

にっき『知識の散乱』

頭を使うってなんだろうな。

今日は結構いろんなことをやった。通話しながらスマブラしたり、通話しながら散歩したり、通話しながら統計を教えたりした。

仕事じゃない空間でガチガチに教える行為をやるのは久々に感じる。たくさん喋ると疲れるんだよね。

説明するという作業は沢山の思考が要り、根気が要り、そして楽しい。説明された側だけが利益を得るものでもない、ということはかなり重要なことだ。説明する側は、その過程で知識の確認と整理を要求される。自分の経験を見ると、説明した側がされた側と同じくらいスッキリした気分になることさえある。

今日は(推量)統計の話を喋ったが、あれは本当に話がややこしい。というか未だに完璧に言葉にできていない気がする。解くための手法とか発想がややこしいのではなく、問題自体がややこしいのだ。正直な話、信頼区間は指定された確率で信頼できるものでもなく、検定で有意な差が出なかったことから帰無仮説が高確率で正しいわけでもない。実はほぼ何も分からないのだという事実を受け入れるところから始めなければならない。

統計も含めて、同じ領域の話を様々な人に何度もしているが、やる度に違う展開で話しているような気がする。自分が気まぐれなのか、相手に合わせた結果なのかは全然覚えていない。いや、お話の展開なんて全然覚えていないような気もするから、毎回同じことしてその度に忘れてるだけかもしれない。忘れる度に再発見するみたいな?(適当)消費空間が小さくて消費時間が大きそうだね。

人間はこういう高度な知識をどうやって頭に保存なり出力なりしているのか?というのは知能論界の究極の謎である。最近はもう、人間は感性とか情緒などといった神秘は持っていなくてとにかく謎の多いハードウェアなんだと諦めている節があるのだが、こんなものを再現する機構があるんだなー、ほんまか?としか言えない。まあこのハードウェアには機構も設計意思もあったものではない。ヒトゲノムの解析かなんかをやっている人が『コメントのないスパゲティコード』と言っていたなあ。

しかし、ヒトの脳の解析が全然終わっていないのだとすると、またニューラルネットワークみたいな構造が新発見されてとんでもないことになるという妄想があってもいいのかもしれない。流石にそっくり真似するというのは夢のまた夢であろうが。

んんん〜思考がとっ散らかってますねえ。もう疲れてることが見え見えだ。ハードウェアがダメになっている←やばそう。メンテナンスの時間とエネルギーをちゃんと取りましょう。おわり。