496の落書き帳

496がなんか思ったことを書いたり書かなかったりする場所です。

にっき「合理主義の罠」

うーーーん。どこから書けばいいんだ。今日はちょっとだけいい仕事をして、研究について考えて、コミュ障について考えたが、実進捗はほとんどなかった。これ、正しい休日のあり方かーもしれないね。

仕事編。3時間くらい虚無をしていたが、統計の課題が分からんという高校生が現れて、周辺の高校生に聞いたらみんな分からないということだったので、集めて説明をしたら授業1コマ分の時間が飛んだ。あれ、ワシ実質1コマ分授業をしたのでは??()

帰ってきて、文系の知り合いと通話をした。最近の授業が面白いとか、研究室体験がどうだった、とかひとしきり楽しく喋って、やはり院の話になる。今の専攻外もみてるんだよねー、などと言いながらホームページを見て、久々に純真な心でわくわくした。広域システムと複雑理工、楽しそうの塊。どうしよう、浮ついて何も決められない。だめそう。

今モチベがあるのは、役に立たなきゃいけないという思考を完全にぶっ飛ばしているからだと思う。去年の破滅ムーブを思い出すと「これくらい、できなきゃ役に立つ人間にならない、一人前になれないぞ」という圧力が何もかもを蝕んでいた。実は今もできていないし全然一人前ではないのだが、そのことは棚に上げて生きている。前提を全て破壊して、人は自由に生きてよいという宗教の元で開き直ったからである。

なんだか忘れたがコミュ障問題の話になった。研究者としての訓練を受けた時点で一般人からするとコミュ障持ちに見えるよなというような話題だったか。間違っていてもいいから楽しい話をするとか、生産性ゼロでも無駄話をするという文化を理解し体得しなさいと言われた。そこから愛や信頼が生えるのだと。なお、去年の開き直りに対して「苦しむ人を救うには、解決ではなく無条件の肯定が必要である」という教訓をまとめたのだが、これは「一般にコミュニケーションにおいては、解決ではなく無条件の肯定が必要な場合がある」に訂正されることとなった。

余談.今からその文化を身につけるにはどうすればいいですか?そりゃあ意識的に身につけるものではなくて、その文化圏に飛び込めば自然に…というくだりになって、これって自分の脳で意識的に生来のニューラルネットを回して下さいって言ってるよな??と思い、ちょっと気持ち悪くなった。でもそれ意外とよくあるんだよね。言語習得とかもそうだと思う。

そうやってコミュ障を見つめ直せば、総じてこの20年、合理主義に苛まれた人生だったと言えよう。小学生の頃は泣き出せば必ず「共感ではなく解決を求めなさい」と言われたし、中高生の頃には愛は不必要で効率の悪化を招くと信じていたし、自分に共感してくれる人というのは探してもまずいないものだと思っていた(それは実際そうだったからという節もある)。信頼という言葉に至っては今でもなんだかよく分からない。理系大学受験という合理主義の化身みたいなレールの上をきっちり走る限り、そんな危なっかしい生き方をしていても問題や障害に衝突しなかった。恐らく、衝突してそこで学ぶべきだったのに。人はこれを青春と呼ぶのだろう。

じゃあ合理主義は何を間違えたのかというと、効果や効能がすぐには分からないものを不要と認定してしまったのだ。昨今コロナのお陰で色々なことが発覚したが、ここに1つの教訓がある:

観測できないものの存在を否定してはならない

存在していないことが観測されているのと、観測できていないということは違う。観測できていない限り存在は証明されず、科学において存在証明を持たないものは存在しないものとして扱われる。だがそれは、観測できていないだけであるともないとも分からぬはずなのだ。証明の失敗による否定は本物の否定ではない、とも言う。

それで、愛とか信頼というものの効用はあまりちゃんと観測されていなかったのを、合理主義の立場から見た結果どうでもいいものだと判断してしまった。進展のない無駄話に嫌悪感を抱き、少しでも正しくないことを言うのに過剰に罪悪感を抱く人間が出来上がったのは、不必要と判断されたものを丁寧に削り落とした結果である。これは、哀れ、観測できるものしか相手にしないと決めた科学の抱えるバイアスが導いた失態であり、まして定量化できるものしか相手にしないと決めた理系は最も危険な立ち位置にあった。

教育がどうこうと言えるほど大人の立場ではないのでそれは置くとしても、僕は現状を問題視している。人の交流が生み出すエネルギーのようなものを信じているし、研究者と一般人の間の断絶が怖い。それで、多少なりとも改善するには、もっと自由に会話しようとすること。それと、何か大学を飛び出したコミュニティで人とコミュニケーションを取るという経験をしないとまずいことになるよ、という結論は容易に出た。まーた面倒な課題が提起されたな…

大域的な目標の話ばかりしたが、それはそれとして、実進捗を生やしていかないとな。毎日の活力は面白い知識の吸収が直結しているので。明日はそうなってほしい。