にっき「展望、ヒント、知恵」
今日は一日、院のことを考えていた。というと聞こえはいいが、日がな一日夢を見ていたとも言える。
次世代人工知能研究センターとか、理研脳センターとか、ニューロインテリジェンス国際機構とやらを物色していた。研究者になれるかというと全然自信はないが、研究員とか助手で生きていくという道もあるのかもしれないなあと今更思った。理研の研究室って大学院生が入れるの?何も分からないんだが…。
余談として語っておきたいが、院のウェブページで見かけた院試の過去問を解くのは結構楽しい。勉強より問題解決の方が目標がスッキリしていて楽なのだ(多分競プロにハマるのも同じ理屈なのかな)。受験中毒が蘇ってきてしまうね。いや講義の勉強もしないといけないんだけどさ…。
研究分野を見て、これはいいかも、これは面白いけどやりたいこととは違う、などと考えていると、やはり自分は根源を目指す性格であることに気づく。そもそも考えが理学的なのだ。この学科を志した理由は、多分CPUなる正体不明の箱に対する根源の解明であるのだが、これはCPU実験でおおよそ解決した。あとは面倒な諸課題が転がっているだけだ。そして、次の、かつ究極の目標は知能そのものの根源である。
といっても、真っ向から挑む研究者はいない。みんな、部分的な構造を眺めようとしたり、特定の側面から斬り込めないか試したりして、ヒント探しをしているような状態だと思う。
今、研究テーマとして置かれているもので、知能の根源に近いのが2つあると踏んでいる。すなわち意識と言語。これらが人間に特有の(奇跡的な)事象と考えられるだろう。意識の方はかなり未開拓という感じがする(まず実験手順が謎すぎる)が、挑んでいる研究室がある。自然言語の方は言わずもがなだ。
背景を述べると、人工知能に関する中々面白い考察を見つけたのだ。(この人は次世代人工知(略)に属していて、他の記事も面白いものが色々ある)
やっぱり研究者はこういうことを考えているんだなあと思う。色々と含蓄のあることが言われているが、まず特筆すべきは人類全体を一つの知能と見做せるかみたいな主張だ。この概念、確か火の鳥で似たものが言及されてたんじゃないかなあ。地球が一つの生命みたいな。人類の各個体の性能には限界があるけれど、全人類ではかなりの知能を発揮するのではないか。その場合、重要な要素として各個体というノードを結ぶ通信路が存在する。そのプロトコル(???)が言語というわけだ。
ちょっと別の記事だったかもしれないが、この人は人工知能が意識を持つかという問いにも答えようとしている。普段は所定のアルゴリズムで動くが、たまに一時停止してパラメータを見直してまた動き出すというような挙動をするのは意識と呼べはしないか。機械設計の総体として、自身の活動を上から俯瞰して制御するような機構が発生するのではないか。ちなみに、人類全体が知能だという話にこれを当てはめると各国家が意識だということになりそうだ。気持ち悪。
まあ、こんなことをボヤボヤと考えながら一日過ごしていた。そろそろ目の前の勉強に戻らんとなぁ。おわり。