にっき「論理インターフェース」
昨日も今日も不調が続く。生活が悪化している。具体的には就寝起床時間が。あと暑すぎないか。ぼけっとしてるとさっくり死にそうだよ。
昨日は大学に向かう機会を得た。思ったより密だった。人と人のPCを繋げて遊ぶ予定だったのに繋げて遊ぶところまで実験できず、悲しい気持ちになった。知り合いとかTAさんとかに会えたのはよかったのだけども。
実験のち、そのまま研究室ミーティングへ。言語処理のお話だと、「テーマを選んでね」というか、「手法を選んでね」という感じが結構している。手法の開発が目標だから仕方ないのだろうけど、理学的な観察は書かれていないし今の知見ではできない。
言語とは何か。それは人間の知能という神秘の中心にあり、論理(数理)と非論理の狭間を作るものだ。今のところ自然言語を論理の範疇に落とし切ることはできていないが、しかし人間は自然言語を操りながら論理というものを編み出した経緯を持つ。
ところで、理系とは論理で扱えないものから逃げてきた存在であった。感情を放り捨て、情報量のない会話を放り捨て、挙句孤独という病に罹ってはどうしてこうなったと喚く。耳が痛い話だ。何か人間関係が上手くいかない気がするのはなんとなくそういうところに問題があるのだろうという気はする。
それでも、人類は果敢に心理にも言語にも論理の手を伸ばそうとしてきた。そして、多少は届いた。今は、人間の複雑さにお手上げという感じがする。そもそも、論理と非論理の狭間などと言うのが不適切に感じる。今のところ非論理に見えているのは今の処理能力では見切れないということでしかないのかもしれない。ただ、理解はできないけどなんとなく経験則で運用するということが必要で、自分はそれが下手くそなのだろう。
抽象的なことを言ったが、具体的で明白な問題として、親に進路相談ができないというのがある。これは自分の問題であって親の問題ではない。親に何か言おうとするたび、違和感とも恐怖ともつかぬ何かがそれを止めてしまう。先生相手でも似た症状が出そうだ。不思議なことに、知り合いであればあるほど無理な気がする。自由とか信頼とかという言葉を用いて説明しようとしているが、何か上手くいかない。根本的に誤解していそうだ。カウンセリング行きてえー。
やはり不安の塊になっている。1ヶ月で人生を決めろ!メイドインほげほげ。そんな雰囲気。でもまずは早寝早起き、なんだよなあ。おわり。