496の落書き帳

496がなんか思ったことを書いたり書かなかったりする場所です。

にっき「最後の敵は人間也」

昨日また日記をすっぽかしている。とにかく、昨日も今日もぐだぐだであった。

まず昨日の反省。人と通話して、面白い話をしたが進捗は溶けた。思うに、人と話すときの展開は2つある。ぶーぶー言いながら進捗するか情報交換や考察が始まって進捗が止まるか。後者はすごく大事なのだが、前者の時間がないとまず課題が終わらない。最近の会話通話の観察から、対面の方が進捗を生みやすいのではないかという疑いがある。たぶん、通話だけだと人が黙っているときに作業をしているという実感が湧かないという点が問題なのかなあ。

さて、昨日の面白い話は面白いので書き留めておく。対話ゲームを通して言語の根源に挑む研究があるらしい。まず、協力関係にある2者に情報伝達(と情報解釈)を学習させると利益が高まる。まあそれはそうだろう。一方で、ある程度の対立関係(ほぼ対立するが、僅かに協力する側面が混ざっている)にある2者に情報伝達を学習させると、情報を受け取る側がかなり有利になり、情報を渡す側(相手を陥れようと学習するはず)は何もしないよりも利益が減るという。ここから何を読み取るかはとても難しくて面白いが、そもそもゲームの設定や学習のパラメータの設定が適切なのかという疑いも強い(原著者はモデルが正しくなかったと考えている?)。個人的には「人と協力して利益を得る」よりも「人から情報を盗んで利益を得る」方が強いということを示唆しないだろうかと思わなくもない。知らんけど。

もう一つ面白い話。画像処理の課題やってねーと騒いで画像復元のアルゴリズムを復習して、CNNでencode-decodeしながら欠損画像に近づけさせようとすると自然な画像になるという話を読んだ。「CNNの特性だけで人間には区別できないくらい自然になるのか、気持ち悪い」という感想があったが、よくよく考えると

人間の意識にはCNNで処理された後の画像が飛び込んでいる。

そりゃそうである。人間もまたCNNというアルゴリズムに沿った測定機械でしかないから、それを騙すにはこれで十分というわけだ。そもそも自然な画像とやらは人間の感覚で決まっている。変な言い方をすれば、気持ち悪いのは人間の方なのだ。

昨日の話はこれくらいにして、今日の話をしよう。正直今日のムーブは最悪に近い。昼から思いっきり眠り込んでしまった。2限の終わり際からもうナチュラルにベッドに吸い込まれていった。エネルギー切れなのか。高校生活を思い出すと、平日は気張って早寝早起きして一日中活動して、日曜は思いっきり昼寝していた気がする。あれはあれでいいのかもしれない。休日が真に休日をしているし。やはり今の目標が欲張り過ぎとしか言えないだろうか。うーん。

昨日今日の良い進捗は一つだけあって、弊学科の先生に研究室選びの相談みたいなメールを出してそれが返ってきたことである。やっぱり思いつくことは大体誰かがやっているのだろうとは感じるが、まあ世界は人手がいくらあっても調べ尽くせぬほど広いので、四方八方でうろうろしている探索隊の1人になるくらいの気分でいるべきか。

このあたりの業界を見ると「ちゃんと人らしく動き、人の役に立つAIを」などという標語をよく見るのだが、自分としてはあんまり人の役に立つ未来は想起していない。最初のモチベーションは教育だったのだが…もう、何も信じられなくなってしまった。ただ、人という謎の機械を知りたいという思いだけで生きている。その気持ちで数多の研究室を見ていると、意外とサクサク切れるかもしれないと感じた。

ああ、少しだけモチベが上がった一方で不安が増大した。目の前がダメな時は遠くを、遠くがダメな時は目の前を見て歩きたいなあ。苦しいというか物悲しい気持ちになる日だった。この症状は去年も見たな。何も、何も分からない。それでも歩き続けなきゃと、まだ思っている。人は、少なくとも自分という人は、思ったほど美しくないということに今年ようやっと気づいた。それで、どうするのか。こんなことを考えるのも今の頭がエネルギー切れだからか?いや、やめよう。終わり、おわり。