にっき「モデルの間違い」
8時覚醒8.5時起床。まあ早起きということで。
起きられたのは2限提出の課題が残っていたからだ。この講義の課題は期限が過ぎると答えが公開されてしまって虚無になるので急ぐ価値がある。またまた実装だけして考察はあんまり出来ずに出した。そもそも実装が終わった時点で15分前とかだったしな。
講義は弱教師付き学習。だったのだが、オフトゥンの誘惑に負け死亡した。講義中ゲームしてるのと寝てるのどっちがマシだろうか。うーん。少なくとも筋トレしてる方がマシそう。それはそうか。
半分以下しか聞いていないが、弱教師という概念はとても重要だと思う。完全な教師などいてたまるかと思っているからだ。そういう人間臭さの話で言うと、勘違いや偏見を持たないように学習するのは難しいようだが、勘違いや偏見はどうやったってするものなんじゃないのと思ったりもする。だから人間が沢山いて面白いんじゃないの。
さて、午後はうだうだと過ごし、CCGをベクトル圏とやらに変換する話をほんの少し読み、数学をしないといけないなあというお気持ちになった。しょうもないが、Conbinatory Categorical Grammarが組み合わせ範疇文法って訳されてるの、圏要素どこ行ったんかいという感覚になるが、なんなのだろう。個人的には単語の意味がベクトルになるという時点であまり賛同していないのだが、文の意味がテンソルかなんかになるという。とりあえず数学ガチャガチャするのが楽しいくらいのモチベしかないが、楽しそうではある。「左から右に読んで、RNNがノリで答えるぜ!」よりはマシかなあ。文法は大事だと思うので。
それとちょっぴり通話して、昨日読んだ本の話をした。愛情の不足で酷い症状をきたすという話である。症状自体も嫌な話なのだが、治そうにも中々治せないということが一番嫌な話である。従来、精神異常はほとんど先天的なもので後天的なものではないとされていたが、この数十年で覆ったようだ。より正確には、別のメカニズムで後天的に(主に親のせいで)発症するということが分かり、しかし医学としても親としてもあまりその事実を受け入れたくなく、中々周知や改善が進まないらしい。
戦後、自由主義・個人主義・人々の健康の土台が確立されてから70年ほど経ったか。その間に「人間は自由な意思を持ち、やりたいことだけして人生を送ることができ、人体機能は科学で解明され、医学のおかげで体調不良に困ることもない」という理想世界のモデルが社会に行き渡り、そして愛情という天然セーフティネットの存在は忘れられた。そのモデルの間違いが、というより欠点が今やっと浮かび上がりつつある。ちょっと忙しくて子どもを愛する暇のなかった第一世代から生まれ、愛し方や愛され方が分からなくなった第二世代が親になり第三世代が苦しみ出すところまで来た。実は親から治さないといけないということにさえなる。親も医者も、誰しも間違いを認めたくはない。あるいはずっと信じてきた理想世界のモデルを壊されたくないのかもしれない。
社会が蝕まれているなどといった豪快な宣言は怪しげだが、少なくとも、愛着の虚無に苦しむのは僕のような一部のオタクだけではないらしい。解決は見えないが、読んで良かったとは思う。
話は大きく変わって夕方からのお仕事。光子と量子のお話をぼんやりだらだらと語る。やっぱり高校生を騙しているような感は拭えないが、「本当はこうなんだけども」と呟く自分の方も騙されているのではと感じる。困った話だが、とりあえずエネルギー準位やらスペクトル系列やらの計算ができれば良いということで我慢するかあ。
ぎゅーん。中身はあったけどあんまり体感進捗は良くない。おいおい明日研究室の発表なんだが。明日もうだうだと進むよう頑張ってください。おわり。